人の思い我々が何か人に対して思う事は日常的にたびたびあることだと思います。「頑張って欲しい」「無事であって欲しい」「早く良くなりますように」またはその逆の「思い」もあると思います。 ふとした事でそのような「思い」が通じる事が往々にしてあるのではないでしょうか? 「今電話しようと思ってたら掛かってきた」「あの人の事を考えてたら偶然会った」「嫌な感じがしたらやはり良くない事が起こった」等。 誰でも少なからず経験する事ではないでしょうか。 そして愛する家族・友人・知人が病気になった時「早く良くなって欲しい」と誰でも願わずにはいらせません。 と、ある所で調べたら、この「良くなって欲しい」と言う祈りは本当に治癒が順調だったと聞いた事があります。 そして又、嫌な事を考えている人からは不思議と嫌な感じをその人から発せら、嫌な感じを受けるものです。 良いものもその人から感じることもあります。 何が言いたいかと言いますと、人間が意識する・しないに関わらずある物に対して「願った事」「祈ったこと」とは目に見えない空間を通して発生するのではないかと思うのです。 そしてそれが大きくなると比例するようにその「願ったイシキ」は膨れ上がるのではないかと思うのです。 それが良いものならいいのですが・・・ある特定の物や人を「崇める」自分の私利私欲のために「お願い」する・・・。 考えただけでもそれらの物が膨れ上がるのは想像に難くありません。 そしてその見えない「思い」は良い思い(平和や偏見・平等を願う)なら良いのですが、私利私欲、自分さえ良ければいい、相手の不幸などを願う場合、「悪い思い」ですから考えただけでも身震いしそうになります。 人間の「思い」とは自分自身が考えていると思っていますが、「005年11月4日(金) 初期の生まれ変わり、顕在意識と潜在意識、落雷」に 「人間の身体の右半身と首から下の部位は潜在意識が大きく関わる領域とし、反対に左半身と頭は顕在意識が大きく関わる領域と決めました。 潜在意識は星から、顕在意識は地球近くの意識体から送られてきます。人間の脳は五感と言語・運動能力などが司られ、思考はソラからやって来るものを脳が受信します。」 という事もあります。 我々が思う以上に人の「思い」と言う物は影響がある物なのではないでしょうか? 出来うれば世界中の人々が皆、仲良く平等に暮らせるようにと願い、虐げられている人々や飢えに苦しんでいる人が1人でも少なくなるようにと願って暮らして行きたいです。 何かを崇めたりする事は逆効果だと思いませんか? |